未来へ、おかえし

ダミー
2003年(平成15年)、父は脳梗塞で倒れるまで年4~5回中国と日本を行き来し、工場を一人前にし、「行員さんたちの生活を豊かにするんだ」と言っていました。工場に初めて食堂ができた時はとても喜んでいました。

中国に入るとすぐ作業服に着替え機械の掃除です。きちんとしたものを作るには基本的なところからです。片方の立場や価値観だけですべてを判断していれば、今まで私たちと中国とのかかわりは続かなかったでしょう。

父はいつも自分は「半分日本人、半分中国人」と言っていました。中国語を習い、現地では片言の中国語でそう言っていました。伝えたいことが伝わらず、思うようなものがなかなかにできてこないことも度々あり、何度もやめようと思いました。それでもやめられなかったのは最初に出会ったあの布の魅力に勝ものがなかったからです。

私たちの製品は、ものづくりの工程を理解していただかないと、その良さは目で見ただけではわかってもらえません。手作業を大事にする製品はいわば80%の完成品であり、残りの20%は使っていただく中でだんだんに味が出てきます。長年使っていただくうちに肌になじみ身体と一体となることによって完成品になると思っています。

ダミー

手紡ぎからガラ紡へ

2018年(平成30年)、手紡ぎができなくなったと工場から連絡が入りました。中国の高度成長における年金制度などで高齢化したおばあちゃんたちが紡げなくなったのです。日本でもそうだったように大変な効率の悪い仕事は若い人達には敬遠されます。2年をかけ当初より現地で稼働していたガラ紡に切り替えることができました。私たちのガラ紡は長年手紡ぎの技術を構築したうえでの糸づくりで他のガラ紡に類を見ないものです。

私たちのものづくりは自然に感謝し、できる限り、環境に負荷をかけないものづくりを目指しています。そして使い終わった後は土に還り、次の出番を待つ。そんなものづくりです。父の最後の夢は自給自足の小さな益久村を作りそこの村長さんになることでした。そこで棉と食べるものを無農薬で作り、染織体験できる宿泊施設を作り、今まで集めた先人の資料の美術館を作り、そして失敗の繰り返しの人生の中、孫の代に役立つ社会のかたちを残すこと。それが 「未来へ、おかえし」 です。